2013年12月24日火曜日

3年ぶりに見てみれば

(自分用) 最後の投稿からおよそ3年・・・ この3年の間に、 結婚したり、転勤したり、甥っ子が生まれたり・・・・ 2010年には2015年までの計画なるものを立てていたけど、 概ねその通りに進んでいるように思う。 全くの遠回りをしていると思っていた事が、 結局は自分の希望へ向かう準備期間であったということが後から分かることもしばしばあり、 自分の考えていることと異なる事柄が現れても、 それは後から答え合わせをしてみれば、結果と結びつくものとなるということを実感できた3年間であった。 2009年、2010年の投稿を見返してみれば。 もしくは、2009年から書き始めた投稿を見れば。 稚拙な内容も多く見るに耐えないが、 その時々の思いが今への人生を作り上げており、 ひとつひとつがとても大切な足跡である。 2009年からは、読書も初めて 今年で5年目。 当初は自己啓発本を3年間程読みあさり、 今では福沢諭吉等の古典や思想論、 経済に関する書籍が増え、過去の書籍の遍歴を追うと 自分がここ5年、どんな考えを持って、あるいは求めてきたか 書籍のタイトルを見るだけで思い返されとてもおもしろい。 このブログというツールや、 ツイッター、Facebook、書籍を管理するMediaMarker その他ランニングを管理するRunMater、flickr,vemeo そしてスケジュール帳や日記。 あらゆるものが、自分の人生を記録し いつでも過去に戻り、過去の自分に出会える。 よい時代だ。 さて、2014年は、また自分の言論空間を鍛えるべく ブログで独り言ぶつぶついこう。 この空白の3年間で得たものを、 さらに熟成させる1年間2014年を経て、 理想の2015年へ・・・・・

2010年8月12日木曜日

お盆ですねー

さて、お盆ですね。
今日は坊さんが家にきて、仏壇の前で5分間
もじゃもじゃ言って帰っていた。

予約はお電話なんですけども、
「お盆は忙しいので19日の何時になるかわからりません。」と。
午前か午後もわからないんですか?→「そんなんわかりません。」と。

どんな仕事やねん!

で、11時ぐらいに来て、今日は何件回るんですかー?って聞いたら
5件ぐらいとな。

どんな仕事やねん!

1件×5分×1万円。時給10万円のお仕事。
坊主さん・・・。いい仕事してますね・・・。

お釈迦様は、念仏とかマントラとか呪文的なものは禁止したらしいです。
何言ってるかわからんので。口語で話しなさいと。
なのでお経とは、本当はみんなに分かりやすく教えを話すことなわけで。

今日の坊さんはむにゃむにゃ言って帰ってっただけで、
何もありがたい話はしんかったなあ。むしろお経もはしょってたし!笑


先祖供養をしないと、たたりが!とか、
お通夜は一晩中線香が消えないように線香を差し替えるとか。
お墓参りするとか。
このへんには何の意味も無いと思っております。僕。

このお盆やらお墓参りやら、葬式なんかってのは
家族が集まって、故人を思い出しながら仲良く話をするってのが、
本来の目的なのでは。と思うのです。
そういう日がないと、なかなか集まらんもんね。

で、ちゃんと集まってたら家族みんな仲良くなるし
繋がりを意識して何かあったときにみんなで助け合える。

それを守りたいがために、「たたり」とか恐怖に置き換えて維持してきたのでは。と。
うん、きっとそうだ。

なので、何よりも家族みんな仲良く集まったり連絡とったり。
あとは故人から教わったことをみんなで話て、今日明日をよりよくする!

そういうことなんですよね。たぶん。
やから形式にとらわれるのは無用。ってことで。


もし、日常にご先祖様の霊がいたとしても、
自分のDNAを継ぐものに「たたりじゃー!」とか言って罰を与えたり
死に至らしめたりするわけないし!
自分が生きた証である、子孫のことはいつも味方で守ってくれているだろうに。

そんなこんなで、おじいさんおばあさん。
今日も僕は元気にDNAを運んでおりますので安心してください。



とか書いてたらまた、えろいコメント増えてる。あー!めんどくさ!

2010年6月25日金曜日

認識と、可能性と。

「認識するまでの間、それは存在しているのか!?」
というのが、最近のテーマです。


自分の知らないところでは、日々何かが起こり現実が動いていると思います。

サッカーで日本が勝ったり負けたり、
凶悪事件が発生したり、
株価が暴落したり、
知らないおじさんがスキップしてたり、
闇の権力が悪事を企てていたり。

仮に全て既に発生していたとしても、
自分が認識していなければ、それは発生していないことと等しいのでは?と思うのです。

また、
自分が認識するまでは、あらゆる可能性が存在するわけで。

量子力学の世界の
「シュレディンガーの猫」という実験では
だいぶハショって乱暴に説明すると
50%の確率で毒ガスが発生する装置の中に猫を入れておくと、
この猫は「生きている状態と、死んでいる状態が重なり合った状態」という解釈ができる。
というもの。
(この実験で表したいことは上記のことではないみたいですが。)

つまり、
事実を認知するまでは、あらゆる可能性が重なっている。と考えるべきで、
「どうせ、こういう結果になっているのだろう」という想像は、
あらゆる可能性の1つを選んでいるに過ぎないということ。

ま、簡単に言うと「思い込みよくない(・v・)」てことやけど。


「予測する」ということは、
人類の持つ特殊能力ではあります。
それは海馬が発達し、過去の記憶と照合して
「以前これはこうなったから、今回もこうなるだろう」
と、結果を過去と比較できるから。


なので、
ちびっ子が道路に飛び出すのも、過去の危機データが薄いからなのだろう。


しかし、
大人になると、過去から現在に至るまでにて
膨大な量の危機データベースが構築され、
あらゆる危機に反応するようになっています。

さらには、人は生命を守るべく、とりわけ「危機意識」に対しては
過剰に反応するようにできているとか。

親が心配性なのも、そのためですね。

この危機意識は重要です。生命を守るためにも。

しかし、危機意識も含めて
あらゆることに対して、常に自分の感じていることは可能性の一部であり、
事実を認識するまでは、様々な可能性を内包している状態であることに
気付かないといけない。と思うのです。

人間の考える恐れの99%は現実には起こらないとも言われています。

なので、何か心配事があったとしても、
あくまでも可能性の一部であり、その他の可能性もめぐらせてみること。
それが重要だ。と思う。


また、過去に蓄積してきた「危機、心配事データベース」
というものが、誰の価値観を元に作られた物なのか?
という点も深く考えるべき要素です。

親や、世間一般の価値観をもとに作成された
「危機、心配事データベース」上で右往左往しても、
世間に感情を踊らされているだけ。

知らない間に形成させられた価値観を今一度疑うべき時代に来ています。
資本主義経済が経済の中心として機能していますが、それが本当に正しいのか?

今世界中の若者の間で「ボランタリー経済」なるものが広がりつつある。
今やアメリカの学生の就職希望ランキング1位はNPO法人だとか。

その価値観もきっと世間でつくられたものに便乗しているだけ感もありますが、
新たな価値観が構築されつつ有ります。

自分が何を大事にして物事を考えるべきか、よく考えたいと。思う今日この頃。

目指せnew価値観創造。