2010年1月17日日曜日

感謝論

論なんて、つけちゃいまして。
感謝についてあれこれ考える機会が重なりまして。
長々とすみませんが考えます。

「感謝」ってなんでしょう。

一般的に(科学的根拠はありませんが)
人は、何か良いと思われる行いをした際に
見返りを求めてしまいます。  少なくとも僕は・・・。

そして見返りとして返ってくることを期待するのは「感謝」がともなったものです よね。 aren't you.(付加疑問文)


また、何かしてもらったときは逆に、
何かお返しにないといけない気持ちにかられます よね。 isn't it.
「ありがとう」


つまり、相手の行為(好意)と「感謝」との交換が発生します。
何故かそれは、あって当然の交換として認識されてます。

なので、ときおり人は自分の好意行為に反応がなかったとき
「ありがとうも言えないのか!」
なんて、言ってしまいます。


さらに、
例えば、ゴミ拾いや、自然保護、動物愛護など
「人」以外への行動に対しても
心のどこかで、見返りを求めてしまう傾向があります。僕は。
「こんないいことしたのだから、何かいいこと無いかなー」と。
(純粋に役に立ちたい、守りたい、一心の方もいらっしゃいますが)

でも、特に思い当たる「いいこと」が発生せず、
むしろ、悪いことが発生すると、人は勝手に落胆します。
「あんな、いいことしたのに。。。」


なんやかんやで、
見返り、もしくは「感謝される」ということが
人の行動のエネルギーの元になっているということを感じます。


そのエネルギーは、
世の中でも一番簡単な
「心」から作ることができます。

人々の行いに対して、
こころから「有り難い」と思い、感謝すること。
これができれば、自然とまわりの人の元気が出る、エネルギーを与えることができる。
重要なのは、自分発信で感謝を伝え、エネルギーを生み出していくこと。
また、相手からエネルギーを貰うために、
何かしら役立とうとすること。たとえエネルギーをもらえなくとも。


人の心はうまくできているので、
嘘からでる「ありがとう」ではあまりエネルギーは発生しなさそうです。
なので、その出来事が自分にとってどうよかったか、
感謝を噛み締めて伝えることが、大事かと。



これは言い過ぎかもしれないですが、
たぶん、自然や全てのものも、感謝されることを待ってるのかも。
太陽も「こんだけ温かくしてやってんのに!」と思ってるかも。
ひとこと「ありがとう」と太陽に言ってやると、
寒い日もなんとなく暖かくなるかもです。
かもかも。



その点、太陽はひとから暑いやらまぶしいやらと言われながらも
輝き続け、地球を暖める存在で。
ほんま偉大ですね。
自分の名前の由来でもあります。陽一。
太陽のように一番明るく、みんなを暖める存在。
いい名前です。
僕の使命はここに有るのではと思ってます。最近。
全然暗いですが。笑
命を使う。使命。
この話はまた後日。。




世の中全体を見てみると、
「感謝」が「お金」とくっついて、
動き回っている場合があります。

「商売」もそのひとつです。
本来あるべき「感謝」の代わりを、「お金」で済ませる。
なので、「お金」を渡しただけで「感謝」の言葉や気持ちを表さないことも往々にしてあります。


なので、仕事でも「お金」が絡んでくると
「感謝」から受け取れる、充実感が減ったりすることもあるのでは、と思います。

「お金」=「感謝」
いつのまにか、心のどこかに入り込んでいる価値観ですね。

「お金」は、あらゆるものと交換できるように見えるので、
非常に便利なものとして流通してます。
あるときには、感謝は「お金」で買える場合もあります。
寄付とか。


でも、そこには「お金」の価値をみんなが認識しているからであって、
もし、それがただの紙切れに変われば何も残らないですよね。

そのとき、感謝の代わりに「お金」というのは成り立たなくなります。


その点、言葉や表情で表す「感謝」というものは普遍的であるように思います。

だからといって、
お金ではなく、「感謝」を払いましょう!とはなりませんが、

「お金」と「感謝」を切り分けて意識することで、
世の中はもっと、うまく、優しく回り出すのでは無いかと思います。



宗教くさく、一部の方々は嫌悪感が生まれてるかもしれないですが、
なんか、そんな気分です。


今日は多摩大学大学院教授の田坂広志氏による
「知的プロフェッショナルの戦略」の講義を受けて来ました。
脱線して、上記のような話になり、
ちょうど考えていたところだったので、びっくり。

「人は意識のどこかで繋がっていて、導かれる」

ほんま、そんな感じです。

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