「考えるってことは、むりやり言葉に変える作業をしているんか。」と。
※「人間は考える葦」パスカル。
自分は四六時中考え事してます。ここ1年くらい。
移動中や、寝る前や、お風呂や、掃除中や、仕事中、トイレ中や。
テーマは、
「人生っていったい。。。」
「仕事っていったい。。。」
というどうしようもないものから、
「もてるっていったい。。。」
「あの、おばあさんっていったい。。。」
と、どうでもいいことまで。
で今日もバイクに乗ってるとき
「こころっていったい。。。」
の自問自答を繰り返してたんですが、
こころの内容には、2種類あることに気付きました。いまさら。
①言葉にできるもの。
②言葉にできないもの。
①は今文章に表してるものですね。
言葉に変換して、他人に伝えられる部分。(伝えきれてないかもですが。笑)
②って。
愛情、感情、夢、やりたいこと
もやもやっとあるやつ。
みなさんお持ちかと思います。言葉で伝えられない部分。
なので、②の部分を考えるときや、②を他人に伝える際
当てはまる言葉が無く、もんもんすることがあるのだなと。
ああ、これを言葉に変えようと、もんもんしてるんやな。
人間は物事を理解するとき
「大脳新皮質」と呼ばれる部分を使ってるらしいです。
いわゆる、は虫類とかが持ってない人類の進化の上でできた部分。
言葉とか作り出す部分ですね。
この部分で処理できなければ、
なんかよくわからん って状態になります。
なんかよくわからんけど、
楽しい!とか、好き!ってのは、は虫類のころからある脳の部分が働くらしいです。
(名前忘れました)
つまり②の言葉に出来ない部分は、ここが反応していると。
人間は言葉に変えれないと理解できてないと考えがちですが、
実はは虫類のころから持っている脳は
こころの中の言葉に出来ない部分を理解していて、
言葉に変わるチャンスを待ってるんじゃないか。と。
だから、いろんな話に共感したりするのは
言葉にできなかったものに反応してるんだな と。
なので、「人生ってなんなんや。。。」
って答えも、実は自分の中の「は虫類の脳」はすでに知っていて、
言葉に変わるチャンスを待ってるんじゃないか と。
全て自分の内側に答えがある。というのはそういうことか。と。
は虫類脳との対話を意識することが、本当の自分の感じていることへの最短ルートだと。
そして、言葉に変えることができない部分があって当たり前。ってことも。
そこを、音楽、もの、踊り、芸術、そんなんで伝える人がアーティストやってことも。
また、誰もが言葉にできてない部分を言葉に変えることが
「共感」を生む方法なのかも?と感じた日曜日でした。
やべー最近現実と乖離した話ばっかなってきとる。
こんなん書いてると、心配のメールを頂くことがたまに。。
ありがとうございます!でも、まだ病んでません!笑
てことで、次回は資本主義のことを少し考えーる。
本日は結ちゃんとお茶を。
彼女は心の中にすんごいおっきいものを持っている。
インドネシアっぽい日本語を話すが、言葉にできなくても伝わってくるのは、
彼女がアーティストやからやろう。
心配しています。
返信削除どこに進むのであろうか??・・・と。
ども。ありがとうございます。
返信削除ほんと、自分も心配してます。。